カテゴリー「状況は流動的」の87件の記事

2010年7月12日 (月)

膝折れが起こった

昨日の夕方、3泊4日のショートスティの迎えに行ったときのこと。
S苑のロビーで待っていると、金髪ショートカット色白小柄の性別不明の職員が介助して徒歩で母が出てきた。ショートスティの部屋からロビーまではかなり距離がある。
帰宅後家の前の道路にとめた車から勝手口まで歩く途中、ドアのすぐ手前で膝折れが起こった。
もうすこしで尻餅をつくところをなんとか支えた。ズボンのウエストを持った手に力を入れたので布の裂ける音が聞こえた。幸いしゃがんでしまった状態からなんとか立たせることができた。

勝手口から2段を上がってもらうのがたいへんだった。きっと歩きすぎたのだろうと思って台所に椅子を運んできてそこでうしばらく休んでもらった。
これまで怪しいことはあったけど、家で膝折れが起こったのは初めて。

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2010年3月12日 (金)

ひとりでトイレに行き、食後は歯磨きにも一人で行った

年が明けてからますます動かなくなり、もう一人では歩行は難しく、母が移動するときには必ず介助している。
トイレは全介助。着替えも全介助。
できるのは食べることと歯磨きと洗顔だが、促さないと何もしない。
いつまでも同じ場所にいる。
そのために最近また1キロ半ほど太った。

トイレにも自分から行くとはまったく言わなくなっていた。全部漏れてしまうので、トイレに行きたいとも思わなくなっていたようだった。

1ヵ月ぐらい前から、食後とデイサービスからの帰宅時の定期的なトイレ誘導は家ではしなくなっていた。
母に「トイレに行く?」と聞いて、行きたいと言わなければそれ以上は誘わず引き下がる。
デイサービスには、帰宅前のトイレでパッドは厚手のものを使ってもらうようにしている。
きっかけは帰宅後すぐにトイレ誘導をせずにtomoが忘れていて何回か衣類を汚してしまったことが続いたので。

ところが、このところ少し変わってきた。
気が付いたのは3月に入って、Oセンターの2泊3日ショートスティから帰宅した日。
自発的にはなにひとつしなかったのに、食卓からリクライニングチェアまで一人で移動した。
Oセンターは毎日リハビリをしてくれるというので、ショートスティに行くようになって2回目。
もしかして、ここがよかったのかしらと思ったりしていた。

tomoの留守に宅急便を受取に玄関まで行き、そのあと叩きから上がれなくなってもがいていたと様子を見に来てくれたTさんが教えてくれたこともあった。

今夜は、tomoが台所で夕食の仕度をしていたらバタンという音がして、母がいなくなっていた。
マスクと手袋をしてトイレに行ってみると、すでに便器に腰をかけていた。汚れた厚手パッドは予備のトイレットペーパー入れのカゴの上に3つ折りにしておいてあった。残念ながらお通じではなく、排尿がしたくなったのだという。
ひとりで大丈夫というので、tomoは汚れたパッドの始末だけしてまた台所へ。
その後1度様子を見に行ったときには、まだだというのでまた台所へ。
もうすっかりテーブルの用意もできたところで、あまりに長いので最後に見に行くとすっかり身支度を終えて、便器のふたの上に腰掛けていた。
ごめんね、ちゃんとなっているかどうか見せてねと言って覗いてみると、そのときはパッドは正しく付けられているように見えた。
本当は正しくなくて、ずっと後で寝る前のトイレ誘導したときにパッドの下からトイレ用のタオルが出てきたのだが、、、。また一枚、きれいなタオルが雑巾となってしまった。

ただ、足の運びはますます悪くなっており、いよいよ車椅子寸前ではないかと思われる。
それでも話は口数が少ないこそすれ、ほとんどまとも。
新しく知った人の名前もなんとか覚えられるし、わけのわからない発言もとても少ない。

最近自発的行動が少し見られるのはどういうわけか。
今週の月曜には初めて「もっと寝ていたい」と言ったし、初めて「(デイサービスに)なんだか行きたくないわ」とも言った。

今週はじめ、特養S苑の入所申込をした。80人待ち。入所希望時期には、「介助しても歩行ができなくなったとき」とコメントしておいた。

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2010年1月 7日 (木)

リハビリで評判のSケアを見学したら、、、、

しっかりリハビリしてくれると評判の老人保健施設Sケアの話を耳にしたので、翌々日の1月5日さっそく弟と見学に出かけた。

自宅から20キロ離れているが、どうせ今でも送り迎えはしているのでまあなんとかなるだろうと考えた。

でも、、、、中にいる利用者全員が車椅子!
食堂に集まってなにか手作業をしていたが、普通の椅子は1脚もなし。
ボランティアのような人は、立ったまま世話を焼いていた。

1週間から10日ぐらいのショートスティを希望していると電話で話したのに、当面はせいぜい4,5日ぐらいしか可能性がないというので、これを主な理由として今回の申込は見合わせることにするとさっき断りの電話を入れた。

母の状態はよくない。
歩くのがおぼつかなくなっているし、自力ではなかなか立ち上がらない。
そばへ行ってかけ声をかけるとtomoが手を出さなくてもやっとのことで立ち上がる。

トイレでも排泄動作のひとつひとつをそばについていて指示しないとできなくなった。
そしてついていて指示しても言葉だけでは理解できないことが多くなった。

tomoは気がつくと怒鳴っていることがあり、はっとして「お母さんごめんね、怒鳴っちゃった」と謝る場面がしばしば。いらいらしている時間が多くなってきたことが自分でわかる。

母がわからなくなっているのは、排泄関係と衣類の着脱。
昨日もパジャマのズボンの上にズボンを重ねてきていたので、お風呂のときに脱がして下さいとデイサービスの連絡帳に書いて済ませた。
夜パジャマに着替えず、カーディガンまで着たまま寝てしまうことも普通の出来事になってきた。

その昔、同居していた孫娘がきちんと着替えずに寝ていることなどが許せず夜眠れなくなって、ノイローゼになりかかったのに。

もうひとつ、お化粧もトンチンカン。
歯磨きとお化粧がまだなので、声をかけてくださいと数日おきに連絡帳に書いている。
今朝はかろうじて口紅をつけられたが、目を離した隙にひたいの生え際を口紅でひとなでしてしまった。
たまたま、今日使っていたのは色付きのリップクリームだったので、タオルで拭いたらなんとか色を薄くすることができた。

認知症の中核症状が進んでいるのだと思える。
母の脳が部分的にどんどん壊れてきているのだろう。

会話のまともさは7割といったところか。ただ、記憶力減退はそうひどくはないし、新しく覚えられることもある。
「トイレでどうしたらいいか忘れちゃったみたいね、。でも新しいことも覚えられるんだから、覚えて」
「そうだねえ、、」と母にはまるで危機意識なし。

最近では、今後何十年も生きるかもしれないとは思えないようになった。
寿命はもって数年なのではないだろうか。

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2009年12月28日 (月)

外出先で便失禁

毎年年末に隣家と一緒に地主さん宅に地代を払いに行く。

今年は母にデイサービスを休んでもらって、従姉妹と3人で行った。
地主さん宅のソファに母を真ん中にして3人で並んで座っていると、なにやらかすかな異臭がした。

用事が済んで玄関を出たところで、母に腕を貸して歩き始めると異臭が強くなりこの時初めて便臭だとわかった。
母に聞くと出てしまったようだと言う。
駐車場まで100mぐらいを歩く間に便臭はますます強くなってきた。
念のため車の助手席にはスチレンシートを敷いて、その下にベビーシートのかいものの硬質ウレタンを噛ませたところへ座ってもらった。

できればお尻が浮くようにと祈るような思い。

お腹の真ん中あたりから、後ろは尾てい骨の上10センチぐらいまでべったり汚れていた。
トイレに座った状態で、お湯を入れたペットボトルスプレーとボロ布で拭いてきれいにした。

長ズボン下には15センチぐらいの楕円形の染み。今思い返してみるとこの染みは、パッドに広がった便の上を流れた尿の染みだったのではないかと思う。
外側のズボンは汚れは見えなかったが、汚臭がしていた。
2枚とも捨てた。

汚れたパッドはちらとしか見なかったが、大量だった。少し柔らかめではあったが、特に下痢をしているようにも思えなかった。

この日は、前回の排便から4日目、朝7時起きてすぐのトイレで定期便が無事に出たのに便失禁は午後1時半頃の2回目の排便で起こった。
続けて起こるのを警戒していたが、今日まで4日間排便そのものがまだない。

(09/12/31)

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2009年11月28日 (土)

歩行能力はやはり減少している

一昨日の夜、母に父の仏壇に炊きたてご飯とお酒を持っていってもらえるかしらと頼んでみたら、こぼすといけないからと断られた。
母に何か頼んで断られたのは初めて。
最近ではほとんど機会もないが、たいていはうん今すると返事だけしてそのまま忘れてしまうのに。

tomoが外出中で、夕方母の帰宅に間に合わないときも人手を頼まなくてはならなくなった。勝手口から一人で家の中に入ることはできるけど、やはり母一人だけでは不安なので見守り要員が必要である。

今のところは、隣家のH医院に長年いるTさんに頼んでいるが、Tさんのいない水、土、日はだめ。

かろうじて車椅子にはならなくてすんだが、その前の状態には戻らない。

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2009年11月23日 (月)

今夜は10時半に寝てくれた

特に眠そうな様子ではなかったが、今夜は早くすんだ。

歯磨きしたらとの声かけも食後に3回ほど、tomoがまだ食堂にいるときに言っただけでよかった。
tomoが自分の部屋に行き、メールチェックなどしてまもなくまた降りていったら、もう洗面所での用事、歯磨きと洗顔は済ませて食堂に座っていた。

今度は、夜用パッドをトイレに用意して、
「それじゃあ、今度は夜用パッドを付けてね」と、またいったん引き上げて次の30分後にまた降りたら、今度はトイレもほぼ正しく済ませていた。

ほぼ正しくと書いたのは、、、
パッドを見せてもらうと、夕方つけた中ぐらい吸収のパッドの内側に夜用パッドが重なってついていたが、これは実害はないのでそのまま。
逆だとだめ。
中程度吸収パッドが内側では、夜間の大量尿失禁で容量オーバーしたときに脇から浸みだしてしまい、翌朝大洗濯となる。

母が寝室に行ってからあちこち点検した。
トイレの電気も消えており、ドアも閉まっていた。便器洗浄もしてあったし、床が水浸しにもなっていない。
おまけに台所では、ワゴンにまとめておいた2人分の夕食後のお皿がきれいになって水切りカゴに入っていた。
見た目きれいでも母のすることは信用しないことにしているので、結局食洗機に入れることになるが働いてくれるととても嬉しいので、寝室までお礼を言いに行った。

寝室に行ったら、寝間着に着替えず、着のみ着のままで布団に入っていた。
あら寝間着に着替えないのと言うと、うんいますると答えていた。多分そのまま眠ってしまうのだろうと思ったが、ささいなことなので気にしないことにした。

またしばらくの間、見守りと声かけだけでやっていかれそうで嬉しい。

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今度は仏壇の前に座っていた

午前1時半頃、今度は仏壇の前の低い籐の椅子に座っていた。
仏壇の引出を開けてなにやら整理をしていた。

用心して夕食前には昼間用より大きめの尿取りパッドを付けてもらっていたが、6時間以上経過している。満杯になって浸みだしていないかと心配になって立ってもらった。

無事。
籐椅子のクッションは濡れていなかった。
立ったついでにトイレに連れて行った。

10分後、様子を見にトイレに行ったら、便器に座ったまま汚れたパッドを包んでいた。
しかたなく母が包み終わるのを待ち、トイレットペーパーを使うのを待ち、流さなくちゃと声をかけると便器洗浄ボタンは覚えていた。

tomoが夜用パッドを支えて手伝い、母が紙パンツを引き上げた。

お母さん歯磨きしなくちゃと声をかけ始めてから、3時間。
中2階の仕事場から階段を往復すること多分10回以上。

tomo就寝午前3時頃。

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2009年11月13日 (金)

だいぶ回復してきた。助かった。

今月は、介護保険の限度額をオーバーしないように、水、金のデイケアSを両日とも半日に変更してもらった。
半日の場合は、12時の昼食から参加としている。

ただし、送迎車には来てもらえないので、家族が送らなくてはならない。

一昨日の水曜は雨だったので車で送ったが、今日は徒歩で送った。

家を出たのが11時30分。デイケアSのある街区の曲がり角の手前30mぐらいのところまで、18分間休まずに歩けた。
それ以降は、カートに座ってもらってtomoが押した。押している間は、母には両足をあげていてもらう。これもリハビリの一種。

曲がり角では、カートが壊れるのを防ぐために一度立ってもらって、方向を変えてからまた座るという方式。

デイケアS到着は1200ちょうど。ALPSLABで計ったら母の連続歩行距離は289m。時速963m。

このところの歩行困難騒ぎのうちに母の排便の様子が変わってきた。
一日~三日と便通の抜ける日があるようになり、時間も起き抜けでなく朝食後と変化してきた。
早朝起こしても起きてくれなかったり、やっとのことでトイレ誘導しても空振りだったりで、起こす時間はだんだん遅くなり、最近では、早くて7時、遅いときは8時過ぎになっている。
前回の便失禁は10日前で、朝食後だった。tomoがトイレ誘導するのが一歩遅く、便座に到着直前、紙パンツの中に出てしまった。

その後は、朝食後ただちにトイレへ行ってもらうようにしており、今のところ、便失禁事故なし。人並みの良好な排便習慣となってきた。なんとかこのまま続いて欲しい。

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2009年11月 4日 (水)

三分の一ぐらい徒歩でデイケアSへ

最近毎週水曜は、近所のデイケアSへ午後から通っている。
一人だけ迎えにきてはもらえないので、毎回tomoが送って行く。

先週の水曜は、ショートスティから帰宅後数日目、このときは車で送った。
今日は天気もよいので、危なかったら戻って車にしようと一応徒歩で出てみた。

シルバーカーを押して1ブロック歩いたところで、シルバーカーに座ってもらって、そのまま押していった。
母も疲れたようだったが、付き添いのtomoが母のあまりのスローペースにギブアップしたのだった。

エレベーター付の地下道で線路をくぐり、地上に出たところで、また母に歩いてもらった。
そしてまた1ブロック行ったところから、シルバーカーに座ってもらってtomoが押した。

デイケアSへ右折するところでは、母が乗ったままシルバーカーを90度方向転換するときっと壊れるのが早まると思い、母に一度立ってもらったが、また座ってもらいデイケアSの玄関前へ。

玄関から中の長い廊下を母は左手は手摺、右手はシルバーカーというスタイルで歩いた。
合計で、歩行距離は150m以上にはなったと思う。

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2009年11月 2日 (月)

S苑  Iさま

ご無沙汰いたしました。先ほどは、お電話でお話しできてよかったです。
明日のデイサービス、どうぞよろしくお願いします。

足腰の痛みも増加したようですが、ここ1ヵ月余りの間に、筋肉がぐっと弱ったという感じがします。
トイレでも食卓の椅子でも、同じ姿勢でいつまでもそのままでおり、動こうとしませんので、介助の手を出すことも多くなりました。
動かないせいかと思いますが、最近体重が1キロ増えて50キロになりました。
認知症も進んだという感じがします。

家では、どうしても必要なときには家具や壁につかまりながらなんとかひとりでも歩きますが、くずおれそうになるのでつい支えてしまいます。
目を離して尻餅をつかれたことも数知れず。
最近では、私の友人から借りた4点杖を使っていますが、歩行器がよいのではないかと思い始めています。

布団の寝床から起きて立ちあがる、椅子から立ち上がるといった動作は、三好春樹著「新しい介護」方式で、家族がかけ声だけかけるとかろうじて自力でしていますが、このままではできなくなるのも時間の問題かと心配しています。

トイレでは次の動作をいちいち言わないとしません。自分からトイレに行きたいと言うこともほとんどなくなり、見計らってのトイレ誘導をしないでいると、うっかりするとパッドの容量オーバーで、衣類を汚します。

最終便失禁は10/21(ショートスティ先で初めて。夜だったそうです)で、以後今日までは無事ですが、その前10月初旬には朝の食事中に紙パンツの中に全部排便してしまったことがありました。
このときは匂いに気づかず、トイレ誘導するまでわかりませんでした。
あとで母に
「お通じはトイレに行ってからしないといけないのよ」と言うと、
「もちろんわかっているわよ。行きたいような気がしたけど、立つのがおっくうなので、まだいいと思ったの」と答えました。
排泄に関しては、完全に2・3才の幼児と同じになりました。

また同じ頃、4日連続の便失禁もありました。

以前は、朝一番で寝起きに排便がほぼ毎日あったのですが、10月に入りこれも変化してきています。1~3日間排便のない日が続くようになりました。ただ、認知症が判明する前には3~5日に一度で、特に問題はなかったようなので、このことは余り心配はしていません。

洗面、歯磨き、お化粧、着替えも声をかけると「うん、いまする」と答えますが、なかなか開始しません。
たまりかねてパジャマを脱ぐのを手伝って「次はこれを着るのよ」とTシャツをもたせて30分たってもそのまま下着姿という場面が珍しくなくなりました。

家族の希望は、以下の2点です。
・今後もできるだけ長く自力で歩いて欲しい。
・自分の身繕いを自主的にしてほしい。

たいへんなお手数をかけることになりますが、無理のないところで、できるだけたくさん歩かせてくださるようお願いいたします。

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