今日は月に1度の整形外科の診察の日。
午前中に終わってお昼頃デイサービスAに送れるはずだったが、祝日と年末が重なってF整形は異常な混雑だった。
10時過ぎに受け付けをしてもらい、終わったのが午後2時半。
レントゲンを撮る前にOさんという理学療法士(?)の人が母の胸の痛いところを長時間かけて丁寧に特定した。
普通に撮ったのではわからないような位置に骨折が何本もあるのをF医師が指して説明してくれた。母は看護婦さんにサポータを付けてもらうととても気持ちがよいと言っていた。
骨を強くするための注射を1週間ごとにすることになった。年末の休みが入ってしまうので2回目は4日後の今週土曜日。3回目はその10日後のF医院仕事始めの日と決まった。
腕をなるべく動かさないこと。
咳はなるべくしない。するときには骨が動かないように縮こまった形でする。
風呂にはしばらく入らない。
と注意を受けた。
足の巻爪は相当伸びていたが、ちょっと見て「ひっかからなければこのままでよろしい」とF医師。でも、F医師診察の前には看護婦さんに爪を切ってあげてくださいねと頼まれた。どうしたらいいのとは聞きそびれた。
F医師は、昼抜きで診察を続けているはず。待合室の混雑をまったく意に介している様子はなかったが、さすがにいつもの両足と腰の診察は省略となった。
今朝、tomoは8時頃母に起こされたが、寝過ごして9時頃になってしまい、tomoが階下へ行くと食堂のテーブルに着替えの済んだ母が電気も付けずに座っていた。
「薄暗い中で座っているなんてやめてよ。気が狂ったかと思っちゃうわ」とほんとうのことを言ってしまった。
「電気をつけるのがめんどうくさいのよ」と母。
このような光景を初めて目撃したのは何年前のことか、ぜひ思い出したいところだがメモがない。2・3年前ではなく5・6年前あたりではないか。もしかしたら10年ぐらい前かもしれない。
でも、友人に話した記憶はある。電話でだったか会ったときだったかもさだかでないが、彼女は、「こわーーーい」と反応した。
彼女の反応は正しい。電気も付けずにぼーっと座っていたら、その人は認知症街道を歩き始めているのだ。
今はデイサービスで忙しいし、tomoが見張っているので電気なしでぼーっとしている時間がそもそもない。でも、うっかりするとときどき暗い中にいて、びっくりしてしまうことがある。
朝食はお弁当にしてともかくF整形へ急いだ。大混雑でスリッパは底を突きかけ、待合い室には立ったまま待っている人が何人もいて、人いきれでむんむんしていた。
受付に断って、近くのB沼公園へ車で行き、畔のベンチで朝食のお弁当を食べた。
ハトと水鳥がたくさん集まってきて、こぼれたパンくずをついばんでいた。
そばでバサバサされると気持ちが悪いので、食べ終わってから、残りのフランスパンを少しちぎってやった。
2羽のハトが、足の指が1本になっていて痛々しい。どちらもなれなれしく50センチぐらいの所まで近づいてきた。
晴れてはいたが、日差しは弱くてときどきかげるので寒かったが、熱い紅茶がとてもおいしかった。
そのベンチの近くになにか大きめのキオスクのようなものがあると思ったら、夭逝した詩人Tが設計図だけ描いていたのを最近ファンが運動して実現させたというHハウス。tomoも何度か新聞の話題になっていたのを記憶していた。
なんとなく寄せ棟屋根のように想像していたが、かなり急勾配の片流れ。
設計図をみせてもらったら、水場はトイレだけしかなかった。
説明員の話によると、詩人TはたびたびB沼畔にあるJ家へ遊びに来て、このB沼が気に入り、J家近くの沼の畔に別荘のような自分の小屋を建てたいと設計図を描いた。
「場所は実際にはあちら側だったそうですよ」と係員は沼の反対側、東のほうを指して、どこにたてるかまで決まっていたのだと教えてくれた。
「あのポールを見て下さい。緑の旗が上がっているでしょう。この旗をTが来たときにあげるんです。するとJ家では、あ、来てると食事やお風呂の用意をするという約束もできていたそうですよ」
詩人Tは好きなときにここに来て、お風呂や食事はみなJ家のお世話になるというところまで話ができていたそうだ。
F整形に戻ったのが11時半頃。それからも延々と待たされた。
最近のコメント